軍艦島に行ってきました

 10.09.20 (月) | Posted in 旅行
軍艦島(端島) 長崎県の沖合いに浮かぶ海底炭鉱の島「軍艦島(端島)」に行ってきました。1890年から三菱によって採炭が開始され、1974年に黒字経営のまま閉山。最盛期には5000人以上が生活し、日本初となる屋上庭園や海底水道などの先端技術が注ぎ込まれたため「日本の未来図」として謳われるも、今は廃墟として注目される無人島です。

高島海上交通軍艦島上陸ツアーはいくつかあるようですが、今回は高島海上交通さんにお世話になりました。見学の際の誓約書と料金を渡し、高速船へと乗り込みます。2階のデッキ部分で強烈な風を浴び、「カツラだったら飛ぶね」などと思いながら写真を撮っていたらもう軍艦島です。大体30分くらい。

一般公開されているエリアは限られており建物も外観を見るだけですが、それでも島内の景色に圧倒されます。以下はその様子です。

中央の四角いものはベルトコンベアーの支柱だそうです。石炭を貯炭場へ運んでいたそうです。

軍艦島(端島)30号棟 中央にあるのは1916(大正5)年に建てられた日本最古の鉄筋コンクリート造の高層アパート(30号棟)。左の31号棟には地下共同浴場や郵便局があったそうです。

奥に見えるのは1958年に建設された端島小中学校。7階建て。

侵入した海水のための排水口らしき穴。台風時などは、12mある岸壁に直撃した波が建物を覆うように島内に降り注いだとのことです。

ツアーには軍艦島を世界遺産にする会の坂本道徳さんが同行されておりました。ツアー予約時は特に気にしてなかったんですが、坂本さんのおかげで軍艦島の魅力を知った気がします。というのも、坂本さんは軍艦島で育った方。知らなければただの廃墟で終わる軍艦島に坂本さんから語られる思い出が加わることで、類を見ない生活の実態を覗くことができました。

上の写真は主力抗だった第二竪抗へ続く階段。坂本さん曰く「労働者やその家族は、炭鉱事故への緊張感の中この階段を自分の足で上り、自分の足で降りること第一に願っていた。この階段は生死を分ける階段だった。」。

トイレのこと。グラウンドでの野球のこと。デートコースのこと。事故を知らせるサイレンのこと。生活道具が残されたまま無人島になったこと。色々と聞かせてもらいました。これから軍艦島に行かれる方は、是非坂本さんが同行されるツアーに参加されてみてください。

軍艦島と戦艦土佐の比較 余談ですが、戦艦「土佐」に似ているからと名づけられたらしい「軍艦島」。実際に比べてみるとそんなに似てるようには…(角度もあるだろうけど)。軍艦には見えるけども。一説には、1916年に大阪朝日新聞が「軍艦とみまがふさうである」と報道したことが軍艦島の由来ではないか、三菱造船長崎造船所で造られたものの未成艦に終わった「土佐」を思っての言い伝えじゃないか、という話もあるそうです。

下記のサイトでは当時の島の方々の生活の様子や、一般公開されていない現在の建物内の様子などが紹介されています。興味深いですね。

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コメント

  1. yoshikatsu

    天気に恵まれたようで。
    素晴らしいですね!個人的死ぬまでに行ってみたい場所百選ですよ、これは!

    間違っていたら申し訳ないのですが『軍艦島ナイト』のリンク先が指定されてないのでは?

  2. otani

    そうそう、天気良くて日焼けしたんよ。
    また行きたい場所百選でもあるよこれは!

    リンク切れありがとうw
    また呑みにでも行きましょうよ、できれば天神近辺で…

  3. Ryosuke Tanaka

    お邪魔します。
    軍艦島はいつか行きたいと思っている場所です。
    羨ましいの一言。

  4. otani

    >Ryosuke Tanakaさん

    ありがとうございます!
    ここにしか無い景色だと思いますし、機会があれば是非行かれてみてください。

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